※画像はtv asahi様より。
新・暴れん坊将軍を視聴させていただきました!
冒頭からのマツケンの華麗な殺陣ぞ、見事。
早々に切り結ぶなぁと思ったら
今回はなんと9代目将軍家重への世継ぎ問題や
享保の飢饉に揺れる世情がテーマ!?
非常に面白かったです。
今回はワンポイントで出てきた人物について整理を。
前回書いたこちらの記事も併せてご覧ください。
尾張の名君主、徳川宗春公とは!?【新・暴れん坊将軍に寄せたスペシャル記事】 – スキマネタマニア %
【家重様の話】
今回吉宗公と合わせてダブルW主役ともいえたのが9代将軍徳川家重。
徳永屋の福太郎(とみたろう)としてドラマにでてきました彼は、
作中でも書かれたように体に障害を抱えた状態で、それでも
16年間を将軍として在位することになります。
生来の持病(脳性まひ?)により自力では満足に人と会話することができず
側用人の大岡忠光を重用したといいます。
トイレに関する逸話も有名で、
江戸城から上野の寛永寺までにトイレを20か所以上も設置していたとされ
「小便公方」と呼ばれていたともされます。
しかし何もかもができなかったわけではなく、例えば将棋を指すのが趣味であったとされますし、
次の時代の老中、田沼意次の才能を見抜き、彼を重用すべきと遺言に書き残しています。
(※田沼は静岡県佐倉の身分の低い家系が出身であり本来老中になれる存在ではなかった)
今回は右手が不自由であることや首の傾きなどが自然な形で劇内設定に活かされており、左手でレイピアを自在に操る姿は非常に格好良かったですね!家重公の新解釈として(また暴れん坊将軍の息子として)際立つ輝きだったと思います。
家臣の「家重様は馬を操ることができずとも、聡明英知で心優しいお方」というセリフや
家重「俺はてめえみてえに父上に望まれる子供に生まれることはできなかった」
家重「味噌汁で顔を洗って出直してきな」
などの江戸っ子べらんめえ口調での口上が非常に印象的でした。
【享保の飢饉について】
今回は吉宗の治世の後期。
自分の評判に影が差しているところも描写されていました。
実際米価が定まらずの打ちこわしや
1732年の享保の大飢饉では1万2000人以上の民が亡くなるなどの
安定の難しい世の中だったようです。
ちなみに江戸時代は世界的に小氷期と言われる時代で作物を安定して作るのが難しい時代でもありました。
参考: http://brandnew-japan.info/archives/563
特に寒かった1645~1715年の直後に吉宗の治世は始まっています(在位1715~1745)
浮世絵師の鈴木春信(1725~1770)の作品では雪深い江戸の様子を見ることができます。
今よりかな~り雪深い様子が分かりますね。18世紀はロンドンのテムズ川も凍ったりなんかしてます。
享保の飢饉は、米の価格の高騰を引き起こし、社会的な混乱を招きました。1733年には、米の値上がりに対する不満から「享保の打ちこわし」と呼ばれる暴動が発生しました。この暴動では、米商人の家が襲撃され、家財道具や米俵が破壊されました。
飢饉に対する対策として、幕府は米の買い占めを禁止し、救援物資を供給するなどの措置を講じました。また、飢饉後には、サツマイモの栽培(青木昆陽)が奨励され、次の飢饉に備えるための対策が進められました。
こうした流れから出てくるのが緊縮緊縮につかれた庶民の感覚にも合致したであろう「田沼時代」です。(NHK大河「べらぼう」の時代に続いていきますね。)
田沼意次は商人を優遇し、経済の活性化を図る政策を推進しましたが、その一方で賄賂の横行や腐敗も問題となり、後に失脚することとなりました。
この辺りの話はまたいずれ、大河の記事にて詳述させてください。
では今回はこの辺りで!
(P.S.ちょっとの出演でしたがGACKT演じる宗春公、超かっこよかったです!)