どうして失ってから気付くのだろう

昔から謎に存在している何かってあるじゃないですか?店とか建物とかいろいろ。そして、あまりにもずっとあるとそれが神社などと同じようにあって当たり前の存在になってしまう。しかし、人が利用することによって成り立っている所はそうではない。来なくなったらなくなる。資本主義で成り立っている社会である以上、利益がなくなったら存続できないから。特にに店の場合は。

練馬区の江古田にはベベという店があった。

衣料品を中心に生活雑貨や家具、寝具まで売っている店だ。ただホームセンターほど品ぞろえが良いわけでもなく、ドンキみたいに安くて雑多なわけでもない。駅から近いのが売りでもあるが、むしろそのまま電車に乗って別の場所で買った方がいい場合もある。しかし、テナントが入れ替わるなどなくそこにあり続けた。

オーナーが経営してるシェアハウスで鍋いるから店の鍋くれって言われて、店から鍋が消えたので、仕方なく鍋を買いに行った記憶がある。IH対応の大きい鍋はリサイクルショップにはなく、ここで買うしかなかった。最近も大きめのガラスボウルを買った。氷を入れるのに使いたかっただけなのだが、客の前に出しても見栄えが悪くないもので、大きいものが必要だった。意外とそれもなくて、100円ショップで悩んだ後にケチらず、ベベで買った。

その程度の思い出だろうか。普段から服を買ったりなどはしていない。知り合いがぬいぐるみを買ったりはしていた。はっきり言って生活に必要な店でもなかった。

さよならは突然に

突然、べべの閉店が告げられた。いつか来ると思い続けて2、30年経ったが、いよいよ来た。いざそうなると動揺した。店をやるようになってから金がたまったら何かまた買おうかなって思っていたし、なくなったら予定していた物をどこで買おうか困ってきた。なくなって困るのなら日頃から何か買っていればいいものを、勝手なもので失うとなってから気付いてしまう。

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理由は建物の老朽化による解体であり、どんなにべべで散財したところ消滅の運命は免れなかったのだが。40年続いていたそうだ。こんなことも消える前でないと気付かないのだ。悲しいとは思いつつも身勝手な感情ってどうしても起こってしまうのだと感じる。老朽化が理由だから罪がないってわけでもない。

閉店セールは行った。こういう時だけ行くのもまたよくないが、行かないのは地元民として余計に良くないので行った。軒並み30%オフなどだいぶ安くなっていた。8,000円のものが4,000円になっていたりもした。元の価格から考えたら大変お値打ちだ。普段使う物でもないが、これは良い機会か。うむ。買わない。ありがとう、ベベ。