不協和音でメロディーを奏でろ

 江古田は教育にいい街である自信がある。それだけ汚いところもなく澄んだ街ではあるのだ。かと言って、美しい街と言えるほど澄みきってもいない。適度なよどみがあり、息抜きもできるバランスの良さがある。

 しかし、それだけでは不十分な人たちもいる。何も話すことがない。癒されない。居場所がないのだ。

居場所と止まり木

 家庭を持って、ちゃんと生活をして、集団で生きるのに不自由ない人たちが往来してるように見える。しかし、彼らにも抱えているものは色々あり、それを隠しながら生きている。そんなにおかしいことではない。ただそういった身の内を明かしてしまいたくなる時がある。抱えきれなくなることが。
 店をやっているとそういう人たちも来る。残酷な話、抱えきれなくなってる時点で、いつかは爆発してしまうことが多いのだが。そうなる前の一時の癒しとしても店は機能するようにしている。いきなり爆発して地獄へ直下高するよりは優しいかと思っている。

浮いた存在

 特に店の常連は社会と馴染めない人が多い。さすがに外では自我を出さずに装ってることは多いが、装いがあまりにも多すぎるのだ。そうしないと受け入れられないほどの自我を持っている。私も大変その気持ちが分かるため、こんな店をやれているわけだが。

※画像はイメージ

 どう見ても、常連たちは商店街で浮いている。結構、受け入れの幅が広い街なのにもかかわらず、浮いて見えるのだ。田舎でもない。23区の田舎こと練馬ではあるが、腐っても23区だ。色んな人がいる。その中でも外れ値を叩き出して、異色の存在感を醸し出すのだ。強烈だ。

救う環境

 だが、そういう人たちを救うところはあるのか。せめて存在だけでも許してくれるところはあるのか。排除したり、無視するところはいくらでもあるけど、ちゃんと相手をして、その人のためになることをしてくれるところはなかなか見かけない。もちろん誰でも受け入れてしまっては環境が悪くなってしまう。

 だけど、潔癖になった今の社会でオープンにするだけで誰でも来るような所なんてあるだろうか。弊店は積極的に来店を促すようなことはしていないけど、特に入店に障壁は設けていない。会員制にするとか。値段だって普通よりは安いし、時間制のチャージもなくてずっといられる。5年以上やっているが、そのような環境でも荒らすような客はいない。イベントのときは一期一会で再び来ることは少ない。イベンター(1日店長)も同様にイベント以外では来なくなる。それとは別に常連がいて、居やすい環境を構築している。そんなもんだ。

不協和音の調律

 浮いている人ほど適した環境が必要なのだ。どこにでもいそうでどこでもそれなりにやっていけそうな人にばかり合わせた環境なんてわざわざ用意する必要はない。勝手に何とかする。それでもそういう人たちに環境を用意するのは経済が大きく動くからだ。たくさんいるからね。

 明らかに地域の不協和音として我々はやっているが、それでもたまに音の波長が合う人がいる。その人たちと一緒にキレイでない世界でやっていく。こうやって息苦しい社会の中で深呼吸できる環境を作っていくのだ。

ゴールデンサムネ
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フゥム

フゥム

ちっせぇ店の店長(雇われ)

1986年生まれ♂ 酒さえ置いとけばバーって名乗っていいだろうという程度の信念で店をやっている。巻き込まれる形で人間の渦に飲まれてしまったので、そこから見える世界を書いてライターとして生きていこうとしている。だけど、渦の流れが強すぎて書けない。助けて。

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