尾張の名君主、徳川宗春公とは!?【新・暴れん坊将軍に寄せたスペシャル記事】

新年あけましておめでとうございます!

歴史大好き、徳川家を楽しむ会・会長の鈴木慎平(盆踊りDJ鈴木)です。

本日は1月4日(土)21時からの「新暴れん坊将軍」に向けたスペシャル記事。徳川吉宗のライバルとして登場する徳川宗春公についての文字を投稿します。

とてつもなくユニークな、本当に18世紀の人なのか・・!?現代人では!?インフルエンサー!?

と驚愕してしまう仰天のエピソードの数々。それでいてド派手な格好(牛に乗ったり黒馬に乗ったり)に2mのキセルを吹かしたり、庶民に祭りを推奨したり…とにかくべらぼうな名君主なのです。どうぞご覧ください♪

◎徳川宗春公とは?
徳川宗春公(1696年 – 1764年)は、
江戸時代中期の尾張藩第七代藩主です。
彼は徳川吉宗とほぼ同時代の人で、
吉宗の進める享保の改革の質素倹約・緊縮財政に対抗し、
庶民のための規制緩和・藩のための経済活性化を目指して
彼独自の政治哲学を「温知政要」という書にしたためました。
ドラマ「暴れん坊将軍」では悪役として書かれるも、
実際の姿は民を愛し尾張の未来を見据えた名君主でした。

↑2024年5月には吉宗VS宗春の歴史講座も行いました

尾張の三代目徳川綱誠藩主の39人の子供のうち
20番目の男子(末男)として生まれた宗春。
部屋住みで江戸藩邸に暮らし気ままな日々を送るなか
34歳の享保14年(1729年)には福島県梁川(やながわ)藩藩主、
35歳には尾張名古屋の藩主を継ぐことになります。
殿様の国入り時にも籠に乗らず、漆黒の着物に裏地が赤、
見たこともないような異国風の笠を被るなどド派手な衣装で登場。

派手好きは庶民のために文化を盛り立てようという知性の発露でもあったと見え、
庶民の娯楽や文化活動を奨励し、その後に続く「大名古屋」の発展に大きく貢献しました。
例えば、芝居の興行を奨励し遊郭の営業も認めるなど、
享保の改革でとてつもない質素倹約を強いられた庶民が息抜きの出来る場所を整えました。
(※筆者の私としては盆踊り文化を奨励した逸話のある宗春公が大好きです)
名古屋は繁栄し、庶民の生活が豊かになりましたが、
しかし、彼の政策は吉宗公率いる幕府の方針と対立し、
最終的には藩主の座をクーデター的に追われ、隠居生活を余儀なくされます。

(家臣や幕臣の中には倹約令に反して豪奢享楽に走る宗春の行動が江戸公儀への謀反だと捉える向きも多かったようです。当時の人にとって重商主義的考え方はあまりに早すぎたということでしょうか)
それでも、宗春公の存在が名古屋・尾張文化に与えた影響は大きく、
名古屋市千種区の平和公園にある宗春公の墓は、多くの市民に親しまれています。

(↑宗春公のしたためた温知政要。現代人にとっても刮目すべき21箇条のマニュフェストが書かれています)

○テレビドラマでは“暴君”のイメージも、今は評価の大幅な見直し。
かつての日本史の中で悪役とされてきた
人物の再評価が始まっています。
田沼意次や荻原重秀、赤穂浪士の吉良上野介
などがその一例であるが、宗春もその中で
是非に再評価されるべき人物であります。確かに、彼の政策や奇抜な行動は人々から批判されることもありましたが、それらは考えなしに行われた行動ではありませんでした。
宗春公が家臣に配ったマニフェスト書である「温知政要」は徳川吉宗の緊縮財政に対抗するかのような内容であるのは確かでしたが、現在読んでもその先見性には舌を巻く内容です。また、宗春が許した芝居の上演により「豊後節」が発達。このことが「常盤節」や「清元節」などの歌舞伎芸能の基礎を作りました。

温知政要がどのようなものだったか・・・内容はコチラ!非常に開明的で現代的なのです。

(↑出典:宗春公を偲ぶイベント『ゆめのあと』パンフレット。八事山興正寺、西田葬式社様主催)

藩主としての活動期間は10年に満たない短いものでしたが、「慈」「忍」の二文字を大切にし、領民に大変親しまれた大名だったと言われます。
(ちなみに吉宗との関係は実際には良好だったそう。宗春の“宗”も吉宗から来ています)

吉宗VS宗春な話はこちらのサイトも参考に載せておきます。          
日本史探究スペシャル ライバルたちの光芒~宿命の対決が歴史を動かした!~|BS-TBS
https://bs.tbs.co.jp/rival/bknm/23.html

引退後の宗春
>宗春は隠居後、四千坪以上ある三の丸で約15年過ごした。
三の丸の屋敷前を通るときには屋敷中の宗春に
敬意を払うために槍を伏せるようにお達しが出ていた。
転居後は六千坪以上もある御下屋敷にて踊りの大会を開催。
庶民を集めるなどして人生を楽しんでいた。(NPO宗春ロマン隊『マンガ徳川宗春伝』より)

宝暦年間、十代将軍家治の時に田沼意次が行った
政策はそれまでの尊農主義的な思想ではなく
商人による貨幣経済を重視した合理的かつ先進的なもので
あった。これは宗春が20年以上も前に他の地域に先駆けて
尾張で行おうと思っていたことでもあるでしょう。

令和の宗春公の威光がいよいよ輝き始めています・・!!!
徳川宗春公を偲ぶ会 11月5日「ゆめのあと」開催!

会場は満席!皆で宗春公の偉業を偲びました。


12月28日には大須商店街ニッパチ祭りでも宗春公の話が飛び出たよ!

NPO宗春ロマン隊から徳川宗春公がスペシャル出演をしてくださいました!(∩´∀`)∩


そして新春スペシャルドラマ「暴れん坊将軍」! 
「#新・暴れん坊将軍」 メインビジュアルが完成!

松平健 #西畑大吾 #小澤征悦 #藤間爽子 #GACKT

勝村政信 #高島礼子 #生瀬勝久

超豪華キャストで贈る令和の時代劇!!(公式ツイートより)
なんとあのGACKTが宗春公を演じます!

放送はもうまもなく・・・!今からワクワクです!

放送後も感想レビュー致します!
2025年.吉宗&宗春公と日本を先駆けましょう!