救われない者のマーキング

明るい街?

 子どもの元気な声が商店街に響く。奥様らしき女性陣が会話を楽しんでいる。実に穏やかで幸せな光景だ。スーパーにもレストランにも家族連れのお客さんがいる。家族がいるということは住みやすくいい環境ということだ。過疎になってしまっている地方もあるのに、明るい話だ。みんなが楽しく生きられる街。

 本当にそんな街はあるのだろうか。

内なる声

 高架下の人が通るためのトンネル。そこの壁には落書きがある。そこだけ奇妙な治安の悪さがあるのだ。絶対に不満のない地域なんて存在しないのだ。どこまでいっても不満がないのが不満というのが存在する。もうどうしようもないのだ。むしろ、表面上の豊かさが豊かなほど不満は陰湿なものになる。
 それが明確になったのはコロナであろうか。新聞の記事にも何もなっていないけど、人知れず、命の火が消えていった。笑顔の裏には無に帰す魂もある。それを弔う者はいたのだろうか。街の者で。新しい命が街を明るくするほど影は濃くなる。最初からいなかったように振る舞われる。

削れる住みやすさ

 光と影と言えば、それっぽいが光が強くなるほど影は濃くなり、広がっていく。光の中にもくすんでしまう人がいる。そのうち光がなくなって、全く別の何かに取って代わられてしまうんではないかという恐怖にかられる。変わり果ててしまった街はいくらでもある。人がいたとしてもそれはまた別の街であり、前の街は滅んだのと同じだ。
 弱者に目を向けず、救わないのは光を食いつぶし、滅びの一途をたどることになるが、光の中で生きていてはそれが分からない。本当に優しい街か。住みやすい街なのか。膝から崩れかけた時、救ってくれる人はいるのか。心に影を落とす。