生活と現実、文化も商店街も見えてない

誰も見ていない

 我々はイベントを頑張っている。店を毎日開けている。話し合いをして企画もしている。そんなこと誰が分かるものだろうか。当事者しかわからないのではなかろうか。

 同じように商店街の人たちも済んでいる者の気持ちはわからない。子育てに仕事、勉強に忙しくてこちらのことなんて見ていない。結構、派手にイベントをやっても「こんなのやってんだぁ」って声はなくならない。地元の人ではないのかもしれないが。

 自分も店をやるまで店の入ってる建物にすら入ったことはなかった。わき目も振らずに通り過ぎていってばかりだった。店の人間になったとたん、頑張ってると息巻いている。しかし、過去の自分と同じように見向きもしないのが街の人間たちだ。

 ひどいものになると商店街イベントにも関わらずに通れなくて腹が立ったのか「道路の利用許可取ってるのか」と咎める中年男性がいたくらいだ。大きな声で「自転車が通ります!!注意してください!!!」と見送った。自分に関係のないものは邪魔でしかないのだ。

地域の行事のありがたみ

 活気があっていいなんてよほど暇か理解がないと思わない。変な話、家族ができるとわかるのだが、街のイベントは家族で気軽に参加できるためあるとありがたい。子どもの機嫌も取れるし、ストレスが減らせる。自分も結構、子どものときに出会ったイベントや祭りは覚えているので、住民にはありがたい行事ではあるのだ。

 しかし、知り合いもいなくて興味もないと関わることはない。家族が楽しそうにしてようが、独身の一人暮らしには一切関係がない。自分の用事を済ませて、寝るだけだ。そして、さして希望のない明日に向けて1日を過ごすだけだ。

 自分もそういう感じだったが、今では年間通して色々参加すると楽しくもなっている。いつ商店街の行事や文化が自分に必要になるかわからない。誰かの必要になる時まで商店街の助けになって、活動を支え続ける。