これならやる。あれならやらない。などと行動に条件をつける。それは年を取るほどに条件が増えていく。経験から学んだつもりなのかもしれないが、それはただの逃避だ。それを学習による賢さと捉える。ただの機会損失なので、賢さとは程遠い愚かな選択ではある。もちろん損をすることはある。だけど、それは結果に過ぎない。得することだってあるのだ。それが分からないのに初めからチャンスを捨てているだけだ。しかも、得をするかどうかも当人次第のところがある。少しでも自発的に学ぼうとする気持ちがあれば、経験値として積みあがる。ただ受け身でいるから何も得られない。そこに気付かないから条件ばかりが増えていくのだろう。条件をくぐればおいしい思いができると思っている。これは死ぬまで気付かない。
なぜ、そうなる?
しかし、そのような人間の方が多い。積極的な人間より受け身である人間の方が多い。ひどいのはここからで、これをわかってる者は反面教師しつつ、受け身の人間を操る方法を考え、実行するのだ。ギリギリまで逃避であることは教えない。やり方が悪いと言ったり、一時の安心を与えたり、現実を誤魔化すようなことを言って依存させる。たくさんいるタイプをターゲットにした方が収益が得られるからこのようなやり方をする。
守るべき尊厳
ここまでわかっていると受け身で選びがちの人を狙えば、儲けられそうでもある。それが確実なものであるとしてもやりたくはない。つまらない意地かもしれないが、自分の基準が利用できるかどうか、稼げるかどうかで判断するようになってしまいたくないからだ。良心であると思いたい。それがない者が利己的に他者を扇動していく。
誰が得をする?
正直者が馬鹿を見るというが、卑怯者が得をする世界も嫌なものである。どちらかというと卑怯者が得をしがちな世界になってはいる。おいしい話で人を釣る方が大きく得をすることもある。損をすることもあるので博打ではあるが、それをしない者は損も得もしない。できれば、得もできるような社会になってほしい。ただ、余裕のない時代になってきたので、なかなか得をするまでは難しいだろう。せめて正直な身内だけでもいい思いをしてもらいたいものだが。