どうなった今川氏(江戸時代~幕末)

この記事は、2023冬コミ C103 "谷中研究所 文化調査部様"の寄稿記事です。

(YANAKALABOCURTURE INVESTIGETONDEPERTURE)

概要

地名の由来について考察することは町おこしの要素となることがあり,今回は下記についての探求を試みることにした。またこの歴史的事実について楽しんでもらえるようにACTIVE LEARNINGも準備した。

MISSIONVol1.

“どうなった今川氏(江戸時代~幕末)”

→東京都杉並区に今川という地名があり,詳細を調べると…戦国時代に駿河国の領主であった今川氏と深い関係があり,戦国時代以降の今川氏の消息について調べてみた。

どうなった今川氏(江戸時代~幕末)

桶狭間の戦いにおいて今川義元を失った後………

(俺を踏み台にしたぁ?by義元)

江戸時代に徳川家から下記の領地を与えられる。

A)今川氏真の代→近江国野洲郡500石

B)今川直房の代→武蔵国多摩郡石

(またB)のころ,高家となり幕末まで続く)

B)の所領についてついて次のようないきさつがある。 

→奥州平定後,江戸への帰路,現地を通りがかる徳川家康。

(家康サマーぁの御成ぁーりィー!!ドンドン….ドドン!?)

→当時不作状態であったこの土地その理由を尋ねると……

(この土地! ネングが取れない。何故だ!! by家康)

(不作だからさ… by在住の村人)

“北条氏統治時代の年貢の取り立ての影響で村人が他国へ….

(まじde,年貢ヤバくねーっ!! 年貢安いとこ住もーカナ, 

楽市楽座の織田さんとこ de 稼いで南蛮行っちゃうwww

by当時の元村人)”

“どうする家康”

→この土地を無年貢地域にする。 

(年貢取らねーし,仕事あるからおいでおいでー 

Vamos !Vamos !(南蛮語))

→人が集まり始め300余軒の村になっていった。

(ヤバーい! 仕事もあるしーマジここ住むぅwwby浪人など)

→村の石高はしっかり右肩上がりに !! (図1.)

(マジで稼げるわーwww  Yes ! Ieyasu!!by村人)

(人は石垣 人は城 by武田節)

図1.村の石高の変遷

どうなった今川氏(江戸時代~幕末)

高家今川氏として………

高家とは

“朝廷関係の儀式典礼を司る家”

EX)勅使の接待,京都への使い,幕府関連のものに携わる役職

(清和源氏の血族なわけで,それなりにマナーも……)

石高として→役高1500石以上

家系としては→大沢,武田,吉良,織田の各家が務めている。

(忠臣蔵のあの吉良上野介の……)

今川氏はいつから高家の仲間入りに……

→今川氏直の亡きあと孫の直房が今川氏の当主となり

第2代将軍秀忠に拝謁。

(直房殿,お顔を上げ近こう寄れ……by秀忠)

(殿……恐悦至極にございますぅby直房)

→第三代将軍家光の時に高家(奥高家)となる。

(頼むぞ直房殿……by家光)

(殿恐悦至極にございますぅ直房

家光は,今川氏の安寧を祈るのであった………。

(時代劇~将軍の最後のナレーション的な終わり方)

→また,今川氏は,幕末までに高家以外にも少将,小姓,民部

,若年寄義帯なども歴任している。

ACTIVELEARNING

→徳川家が今川氏をなぜ登用したのか。

→直房は,武蔵国多摩郡500石をなぜ与えられたのか。

参考文献など

高家今川氏の知行支配

~江戸周辺を事例として~

大石学監修

東京学芸大学近世史研究会編

名著出版

今川氏に由来する地を区内に訪ねる|すぎなみ学倶楽部 (suginamigaku.org)